「……だから行くなと言ったのに!」
「ごめ~ん」
神秘の森の地下1階、真昼の太陽の恵みを受けて、翠緑に輝く樹海。
黒髪の錬金術師・キトラは、鞄ふたつと、赤毛のレンジャー・カーシャを背負って、息も絶え絶えに歩いていた。ただでさえ目つきが悪いのに、疲労と、わき上がる怒りとで、かなり凶悪な顔つきになっている。
カーシャの方はというと、眠ってはいないものの、目を閉じて、しんどそうにしている。心無しか、顔色も悪いようだ。
事の発端は、ついさっき。そろそろ探索をやめて引き返そう、というキトラの提案に「あとちょっとだけ!」と先に進んだカーシャが、毒吹きアゲハの集団に襲われて、毒鱗粉を吸い込んでしまったのだ。
毒吹きアゲハ自体は撃退したのだが、毒消しの持ちあわせがなかった。厄介な毒を消せぬまま、だましだまし、街を目指す羽目になったという訳。
……いや、毒消しは、一応、ちゃんと用意してはいたのだが……。
「おかしい……」
自分の鞄を引っ掻き回しながら、キトラは首を傾げた。確かに用意していた筈の毒消しがない。傍らでぐったりしているカーシャに、毒消しを知らないか、と聞いてみたが、知らない、と返される。念のためにもう一度確認を……と再度荷物を点検するキトラに、カーシャが「毒消しってどんなもの?」と訊く。
「何だ、知らなかったのか。星形の種子を煮込んだヤツだ」
「あ、それ、食べちゃった」
「……」
キトラは、数回瞬きをした後、鞄に向けていた視線を、ぎっ、とカーシャに向けた。
「食べたァ?」
「お菓子かと思って。いい匂いがしたし、星形で可愛かったし」
「……!」
思わずキトラはカーシャの胸倉をつかんで揺すぶった。
「馬鹿かお前はッ! 星形の種子は貴重品なんだぞッ! それを……!」
「あわわわわ揺すらないでぇ~気持ち悪いいぃ~」
「自業自得だッ!」
今すぐ命に関わるほどの猛毒ではないから、街へ帰って、医者に診てもらいさえすれば、大事にはならないだろう。
(無事に帰れればな)
キトラは心の内で呟いた。
アルケミストである彼は、腕力や体力がない。
ひとひとり背負ったまま、魔物を退け、帰ることができるかどうかというと、正直、かなり、キツい。
こん畜生。
ちょっと一休みしようかと足を止めた、その瞬間。
ヒトの悲鳴が轟いた。
姿は確認できないが、かなり近い。
ちッ、とキトラは舌打ちした。
近くに誰かがいて、危機に陥っているのか。あまり考えたくはないが、すぐ近くに、手強いモンスターが出没したのであれば、一大事だ。
この状況で襲われてはたまらない。 悲鳴の主には申し訳ないが、そいつが襲われて、モンスターを引きつけている間に、とっとと逃げさせてもらおう。
そう思い、一歩、踏み出すと。
「助けてぇえええ!」
背後から、声が追ってきた。
振り向けば、巨大な籠を背負った眼鏡の男が、必死の形相で走ってくるところだった。そして男の背後には、森ネズミやら森林蝶やらひっかきモグラやら、モンスターの群れがわらわらと……。
がくり、と、キトラは肩を落とした。
もはや怒鳴る気力もない。
カーシャと荷物を降ろし、術式起動用ガントレットを嵌め直す。逃げてきた眼鏡男を背に庇うように立ち、モンスターの群れと相対した。
「危ないところを助けてくれて、ありがとうございます! 本ッ当~に、ありがとうございますッ!」
「あー、本当にな」
魔物を、大技『大氷嵐の術式』で掃討したキトラに、眼鏡男は、額を地面にこすりつけんばかりに土下座し続けた。
「もう、お礼の言葉もありません。僕にできることでしたら何でもしますッ」
「何でも?」
「何でも!」
叫んで男は顔を上げた。年の頃は20代前半といったところか。見るからに人が良さそうで、見るからに気が弱そうだった。今ここで「有り金を全部よこせ」と言ったら、本当に、何から何まで差し出してきそうな雰囲気である。
「ふむ……」
キトラは、考え込んで、眼鏡男が背負っている籠に目をやった。そこには緑の草がたくさん入っている。もしかして、毒消しになるものが混じってはいないだろうか。
「この小娘を治療できるか?」
「はい。お安い御用です」
あっさりと男が言うので、キトラは内心驚いた。
「お前、薬師か?」
「元薬師です。今は植物学者として、樹海の植物の研究をしているんです。そもそも樹海には……っと、いけない、毒の治療は時間との勝負! 速やかに治療させて頂きますッ」
分厚い眼鏡が陽光を弾いてきらりと光った。籠ではなく、肩から下げた四角い鞄を地面に置いて、ベルトをほどき、蓋を開く。中を見て、思わずキトラは目を見張った。夥しい数の薬草が、きっちり丁寧に仕分けされ、整理されて、芸術的な美しさで収納されている。その中から、ミントと星形の種子を選んですり潰し、琥珀色の蜂蜜に混ぜてカーシャに飲ませる。
すると、劇的と言っていい程の効果が現れた。
すっかり元気になったカーシャが礼を言うと、眼鏡の男は、あはは、と後ろ頭を掻いた。
「この薬の組み合わせって、僕のオリジナルなんです。毒消しだけを使うより、ずっとずっと効果があるんですよ」
「うん、凄かった。薬を飲んだら、すぐ気分良くなったもの!」
「それは良かった」
二人がにこやかに談笑しているのを、キトラは厳しい目で睨んでいた。その視線に気付いた眼鏡男が、あわわ、すみません! と慌てた様子で謝った。
「もしかして、何か気に障ることをしてしまいましたか?」
「いや、お前じゃない」
低い声で呟いて、キトラは、カーシャの前に立つ。そして。
「この、大馬鹿者ッ!」
カーシャの頬を、ぴしゃりと叩いた。
「今回こんなことになったのは、誰の所為だ!」
「……」
カーシャはしゅんとうなだれた。
「ボクが、キトラの言うことをきかずに突っ走ったせいだね。ごめんなさい」
「それだけか?」
「毒消しを食べちゃったせいでもあるよね。……ごめんなさい」
「それだけか?」
「まだあるの?」
おどおどと上目遣いに見つめるカーシャを睨み、キトラは、はぁ、と息を吐いた。
「お前の性格がどんなだかわかっていたのに、しっかり引き止めなかった俺も悪かった。そして、毒消しがどんなものだか、教えておかなかったのも悪かった。……そして」
冒険者の街エトリアの政治機関・執政院は、5人での探索を推奨している。キトラ自身も、ゆくゆくはそうするつもりであったけれども、第1階層の、ごく浅い範囲の探索なら、2人でも問題ないと思っていた。少しずつ探索を進め、小金を稼ぎながら、信頼できる仲間を見定めていけば問題ない、と。
しかし……。
「……俺の認識が甘かった。今回はたまたま運が良かったから助かった……そのことを、しっかりと自覚しておけ。そして、そこの眼鏡!」
「はい?」
「お前の治療スキルは使える。職場に辞表を出してこい。今日中にだ」
「……はい?」
眼鏡男の顔が、ひきっ、とひきつった。
「あの、もしもし?」
「できることならなんでもやるんだろう。明日から、お前はうちのメンバーだ。いいな!」
「は、はひっ!」
……かくして、メディック・サリナスは、かなり強引な形で、樹海探索チームの一員に加わったのだった。 |