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仕切り線1

【11*野外音楽会】
地下17階攻略中。
シェーヴェとカラト兄が出会った日。

 時は昼過ぎ、空は晴れ。
 暑くもなく寒くもなく、何かをするにはうってつけの今日、冒険者ギルド・シュタールは休養日。メンバーはそれぞれやりたいように時間を過ごす。
 シェーヴェもまた、ひとりで林の中を歩いていた。
 左手にはリュートと楽譜の束の入った鞄。背には、用心の為にと長剣をひとつ、負っている。
 端から見ると物々しい装備だが、別に、ひとりで探索をしようというのではない。 人気のないところで新曲の練習をしようと、町外れの林までやってきたのである。
 シェーヴェはプロの吟遊詩人だから、一度聞いただけの曲を弾くことも、ふと思いついたメロディーを即興で演奏することも、さほど困難なことではない。けれども、戦闘中、大切な仲間の為に歌う特別な歌に、失敗は許されない。だから、今日のように時間が空けば、人の寄りつかないこの場所で、こっそりしっかり練習するのだ。
「さて、と」
 目的地にたどり着いたシェーヴェは、荷物を下ろし、準備を始める。
切り株の上に腰掛け、譜面台を組み立て、楽譜を風で飛ばされないようにしっかりと固定する。愛用のリュートの弦を調え、軽い発声練習。それらを終えて、本格的な練習に入る。
 穏やかな視線が、楽譜上の音符を丁寧になぞる。指が滑るように動いて旋律を奏で、珊瑚の唇が「力ある言葉」を紡ぎ出す。
 猛き戦いの舞曲。
 勇猛な歌で味方を鼓舞して奮い立たせ、戦いを有利に運ぶ曲である。
 静かな林の静かな大気に、力強い歌声が響き渡る。

 一曲弾き終えて、ふぅ、とシェーヴェは息を吐いた。
「まぁまぁですかね。中間部はちょっとダレ気味かな? もう少しテンポを上げますか……」
 ……ふと、楽譜をなぞっていた手が止まる。
 背後に、何者かの気配を感じたからである。
 シェーヴェは熟練の冒険者。カーシャほどではないにしろ、獣や不審者などの危険を嗅ぎ取る感覚は鋭い。今のところ、相手から殺気は感じられないが、万が一ということもある。何気ない動作で武器をたぐりよせ、いつでも対応できるように準備をしておいて、その上で、何も気付かないふりをして、練習を続ける。
「……」
 相手は動かない。むしろ、音に聞き惚れているような気配さえする。
 お客様かな。そう判断したシェーヴェは、振り向きもせずに、明るい声で「そこのあなた」と呼びかけた。
 ……びくりと、怯えるような気配。
 小動物のような反応に、シェーヴェは薄く微笑んだ。
「大丈夫ですよ。今は練習中ですから、大した演奏はできませんが、それでも宜しければ、こちらへどうぞ」
「……」
 気配の主は、しばらくの間、動かなかった。……が、やがて意を決したのか、ゆっくりと、躊躇いがちに、やってきた。
 その姿に、シェーヴェは目を丸くする。
 長身を紺色の衣服で包み、艶のある黒髪を背中まで伸ばした男は、探索仲間のキトラに、何から何までそっくりだった。
 一瞬、彼本人かと思った。しかし、ルビーのような瞳をおどおどと彷徨わせる様は、キトラのそれとはほど遠い。しかし、他人の空似ではすまされないほどに、似ている。
 古より伝わる怪談に、『ドッペルゲンガー』という、そっくりそのままな人間が登場する物語があるけれども、彼がそうなのだろうか? いやいや、それもちょっと違う気がする。
 なんてことを考えている素振りはまったく見せず、シェーヴェは曇りのない笑顔を浮かべて呼びかけた。
「こんにちは。良いお天気ですね?」
 返事はない。
 ふむ、とシェーヴェは頷いて、リュートの弦に指を掛けた。ぽろろん、と素朴な音が鳴り……男は、不思議そうに瞳を瞬かせ、楽器を、穴の空くほど注視した。
「音楽が、お好きですか?」
「……音楽……」
 男は呟く。これまたキトラと同じ、深みのある低い声。けれども響きは心許なく、なんとも気弱だ。これはもう完全に別人だな、と、シェーヴェは判断を下す。
「そう。音楽。先程から、ずいぶん熱心に聴いてらっしゃいますよね?」
 男は黙り込んだ。答えられない、というよりは、どう説明したものか、必死に言葉を選んでいる様子。だからシェーヴェは、にこにこと笑んだまま、男が答えを導き出すのを待った。
 やがて。
「……俺は」
 ようやく、男は口を開いた。
「……音楽というものを、ほとんど、聴いたことがない」
「はい?」
 意外な返答だ。思わず首を傾げるシェーヴェに、男は続ける。
「……聴いたことはあるのかもしれないが、……少なくとも、現在の記憶の中にはない。だから……、音楽が、どんなものだか、聴いてみたい。……構わないだろうか」
「ええ。構いませんよ」
 あくまで優しく、柔らかく。シェーヴェは笑顔で、自分の隣を指し示す。
「こんな場所ですから、椅子とかはありませんけど、どうぞ座って、楽にして聴いてくださいね」
 すると男は、シェーヴェが示した場所……シェーヴェから見て右側の地面の上に、長い膝を抱え込むようにして座り込んだ。
 シェーヴェはにっこりと微笑んで、楽譜に手をかけた。この奇妙な男にはどんな曲が似合うだろう。考えながら楽譜をめくっていき、とあるページで手を止めた。
「では、いきますよ」
 先程とはうってかわって、穏やかな曲が始まった。
 こころを落ち着かせ、励まし癒す、優しい旋律。
 ……男は、真摯な態度で、微動だにせず、聴いている。
 そのガチガチに堅い態度に微笑みつつ、シェーヴェは歌った。安らぎの子守唄を。

 曲が終わると、男は、ほぅ、と深い息を吐いた。
「……凄いな」
「初めての音楽は、いかがでしたか?」
「……良かった。とても……」
 男は、無表情に、けれども心底満足した様子で頷いた。
「ありがとうございます。とっても嬉しいです。……拍手があれば、もっともっと、嬉しいのですけど」
「……拍手?」
 かくんと首を傾げる男に、シェーヴェはにっこりと笑ってみせる。
「音楽家にとっては、どんな宝物よりも嬉しいご褒美です。……演奏が終わった後、いい曲だったな、と思ったら、拍手をしてください」
「……どのように?」
「こうやって、手を叩くんです」
 ぱちぱちぱち、とシェーヴェがやってみせると、男も真似て、ガントレットに包まれた手を叩いた。金属同士がぶつかる音が響く。
「ガントレットは、外してもいいんですよ?」
 シェーヴェが指摘すると、男は首を振った。外せない、ということだろう。そうですか、と頷いて、シェーヴェは説明を続ける。
「拍手をすると、今、あなたが『いいな』と思った気持ちが、演奏者に届きます。すると、演奏者は嬉しくなって、もっといい演奏をしよう! とやる気が出るんですよ」
「……そうなのか」
「ええ。音楽を聴く時には、とっても大切なことですから、覚えておいてくださいね?」
「……わかった。覚えて……おく」
 男は真剣そのものの顔で頷いた。
 それでは、と、シェーヴェは楽器を構え、次の曲を演奏し始めた。

 何曲か演奏し終えたシェーヴェは「ちょっと休憩」と楽器を置いて、男の方に向き直った。
「えぇと、……そういえば、お互い、自己紹介がまだですね? 私はシェーヴェ。見ての通り、吟遊詩人です。あなたは?」
「……俺は」
 呟いて、男は口ごもった。何か名乗れない事情があるらしいと察したシェーヴェは、無理しなくても大丈夫ですよ、と微笑んだ。すると男は、素直にうん、と頷いた。
「……訳があって……、本当は、人前に出ることも、禁じられている……」
「あらら。そうなんですか。じゃあ、今、こうしていることがバレたら、怒られちゃうんですね」
「……とても……怒られる」
「……」
 うなだれて膝を抱く様が、まるで小さな子供のようだ。見目は30かそこらに見えるけれども、中身はその通りではないのかもしれない。そう考えたシェーヴェの前で、男はさらに、うなだれた。
「……しかも……、こうして、音楽について学んでも、また、記憶を整理されるかもしれない……」
 ……。
 あぁ、なるほど、と、シェーヴェは得心した。
 どこの誰が、どういった手段でやるのかは知らないが、彼は、何かやらかす度に、記憶を『整理』、つまりは余計な記憶を消されているのだろう。だとすれば「現在の記憶の中では音楽を聴いたことがない」という言葉や、妙に子供っぽい態度にも納得がいく。
 ……それに。
 彼は、こうしてシェーヴェと喋っている間にも、まったく緊張を解いていない。何かが起これば、即座に術式を起動できる体勢になっている。彼の術式がどれくらいの威力があるのかはわからないが、両腕のガントレットは相当に使い込まれた様子、おそらく、かなりの手練だろう。
 間違いなく、危険人物だ。
 それでもシェーヴェは、何故か、彼を放っておこうという気にはならなかった。
「私は、だいたい週に1~2回、ここで練習をしています。もし、気が向いたら、いらしてください。今日みたいに、気楽におしゃべりしましょう。その、怖いヒトに、バレないように」
 すると男は目を瞬いて、頷いた。そして、ゆっくりと、立ち上がる。
「……カラト」
「はい?」
「俺は、名を、カラトという。……また、来る」
「わかりました。カラトさん、またお会いしましょうね」
 シェーヴェは、にっこり笑ってひらひらと手を振った。彼の姿が、木々に隠れて見えなくなるまでそうしておいて……やがて、よいしょと立ち上がり、帰り支度をはじめた。


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